『金融商品取引法』 平成19年3月20日発売 文春新書 本体価格710円 |
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1990年台、日本経済はバブル崩壊後、長い平成不況に陥った。いずれ回復するだろうと言われ続けながらも、景気は一向に上向かない。それもそのはず。これは多くのエコノミストたちが言うような循環型の不況ではなく、構造的な問題からくるものであった。 |
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戦後の日本経済は、資産インフレに支えられてきた。企業資産には不動産が組み込まれ、地価はその価値をあげていく。株の持ち合い主義は株価の上昇に支えられ、企業の資産は安穏としていても知らず知らずに増えていったのだ。ところが、インフレによる含み益は、バブル崩壊とともに消し飛んでしまう。資産デフレのはじまりである。 |
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資産デフレはあっという間に過剰債務を生み、日本経済は、債務の自己増殖が連鎖的に資産デフレを創出する最悪の状況に陥ってしまう。これはまさにデッド・デフレーションであり、1930年代のアメリカ大恐慌期と同様の最悪の状況まで追い詰められていた。ややもすると世界金融恐慌の引き金を日本が引かないとも限らない、という状況は、決して大げさなものではなかった。 |
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1997年、代議士に当選したばかりの私は声を大にして、日本が資産デフレという最悪の状況に陥っていること、ならびにその危機対応を唱えていた。まず最初にやるべきことは、金融機関の立て直しであった。バランスシートの大幅な不均衡からくる不安の連鎖反応を回避するには、金融機関への公的資本注入こそが急務と考えたからである。だが政府は、住専問題の公的資金が大批判をあびた恐怖心から、私の資本注入スキームに猛反対した。その結果、山一証券や北海道拓殖銀行が相次いで破綻。翌年には戦後日本経済発展の一翼を担っていた日本長期信用銀行が消え去った。失業者や自殺者が急激に増え、治安が悪化し始めたのはこの頃からである。 |
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資産インフレを基盤とする成長シナリオは、もう通用しなくなっていたのだ。政府の失敗や市場の失敗という歴史の教訓に学び、経済と金融の構造改革を徹底していく以外に方策は残されていなかった。 |
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2006年1月。私は「公正で透明な市場構築に向けて」という、金融市場建て直しのための10項目からなる報告を自民党企業会計小委員会としてとりまとめた。閣議決定されて国会に提出された法案にもなった。政府の金融審議会の議論も踏まえ、1948年に施行された証券取引法が「横断化」「柔軟化」のもと、いわゆる「投資サービス法」である金融商品取引法として改正され、同年6月成立、翌2007年夏頃施行となり、日本の新しい金融関連の法律が動き始めた。 |
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本書は、こうした一連の経済の流れと新しい法律がなぜ必要だったのか、ならびにその内容をわかりやすく解説したものである。 |
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渡辺喜美 |
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序 章 金商品取引法って何? |
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第1章 金融改革は日本経済必須の改革だった! |
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第2章 時代が新しい法律を求め始めていた! |
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第3章 金融商品取引法概要解説 |
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第4章 金融商品取引法による改革事項 |
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第5章 金融改革最終章へ! |
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図 解 金融商品取引法 |