総評
今年で12回目を迎える全国竹芸展の出品範囲はその名の通り北は青森、南は九州と全国的に広がり社会的な認知を
得た事は喜ばしいと感じている。
審査会場も新しい大田原市那須与一伝承館に移されての新鮮なスタートになった。木の香も心地よい会場には中国
の兵馬俑抗のように整然と並んだ作品郡が所狭しと並べられていた。昨年から竹芸展のタイトルからアマチュアの文字
も取られ、出品作の技量は飛躍的に向上し審査員も舌巻く作品が多くなったがあっと目を見張るような 面白いものが
今年も少なかった。面白いものとは鑑賞者が心をときめかせ、晴れ晴れとさせられるものである。
アマチュアの冠が付いている時は編み方や技術力の 有無が賞の条件になる事が多かったが、今年は技術的には差が
無く、これは良い傾向であると直感した。案の定、審査員の会話は作品の形態やオリジナリティーの問題が中心になった。
作品を審査する時、それがどの様なグレードであっても大変緊張するものである。神経を研ぎ澄まし精神を統一して、何が
何処が美しいのか、何を語り掛けているのか作者の声を読み取らねばならない。心血を注いで製作したそれぞれの作品の
真実の声を決して聞き漏らさぬように。しかし、ここ数年作品郡の中に技術的に優れてはいるが、同じような作品が増え
真実の声が小さくなっている様な印象を禁じえない。それは、皮相の類型化と創造性の脆弱である。展作者の名を記して
出品する以上、他の模倣でなく唯一無二の己のもの、作家としての気迫が篭っていなくてはならない。例えば器を作るとき
個人の器に対する想いは皆違うはずである。それなのにどうして、こうも同じようなものが生まれて来るのであろうか。
真似はしていないとどんなに主張しても出来上がった作品は、厳然として事実を物語っている。では、どこに原因があるの
だろう。いろいろ理由は考えられるが、1番大きな要因は「作るもの」の形の意味、ビジョンが明確で無いのである。創作者は
何を作ろうとしているのか、それをどのように表現したいのか、どのように工夫しなければならないのかを常に認識しなけれ
ばならない。そして、何よりも作品が己の意思通りに出来ているかを絶えず確認して初めて芸術の門に立てるのである。
模倣からの脱却は大変な苦労が伴う 。その方法は個々で考えなければならない。
そんな想いを抱きながら審査委員諸氏「勝城蒼鳳、金子賢治、本間一秋、そして私」の4人で作品を拝見させて頂きました。
審査委員長 日原 公大
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